ブログ移転のお知らせ

当ブログは、2021年12月より新ブログにて発信しています。新しい記事については 移転先→新日々のネパール情報 をご訪問ください!今後ともよろしくお願いいたします。

2009年10月13日火曜日

帰国中の話題

ご無沙汰してしまいました。毎日のぞきに来てくれる皆様、すみません。

一時帰国中ですので、ネパールとは関係あるような、ないような話を書いてみたいと思います。

先週は祖父の13回忌で、祖母の住む田舎に行っていました。12年前の1997年10月に祖父は亡くなったのですが、その前後、私も、ネパールがらみで大変な目にあっていました。

その年の8月末、3度目のネパール旅行を終え帰国していた私は、なんとなくお腹に違和感を感じ、毎日続く軟便と微熱を不思議に感じながらも、元気に生活していました。

しかし9月半ば過ぎのある日、熱がじわじわと上がり始め、その後、40度以上の熱が下がらず、激しい悪寒と、頭がかち割れそうなほどの痛みにもがき苦しむことになったのです。

数日の間は、解熱剤を飲み、近所のクリニックで点滴をしてもらいながら絶えていたのですが、限界に達し、大きな病院へ移されることに。そこでは、すぐに感染症が疑われ、着の身着のままの状態で、即、感染病棟に隔離されることになったのでした。

ちょうどそのころ、祖父の容態が悪化し始め、実家では、母が最悪の事態に備えて急遽帰省することに。私の入院翌日に、祖父が亡くなったと記憶しています。

検査の結果、私はパラチフスに感染していたのでした。

結局、祖父の葬式には参列できず、40度を超す熱にうなされながら、隔離病棟の個室のベッドでもうろうと寝ていた日々を思い出します。

そんな思い出のある、祖父の命日と、私のパラチフスなのです。

さて、入院中の話に戻して。

パラチフスのほかにも、よくあるジラルジア(ランブル鞭毛虫)や、このほか、イソスポーラという非常に珍しい寄生虫感染も分かり、のちに、感染症学会の題材にされた、という後日談があります。

(どうでもいい話ですが、自分の症例発表を聞きたく、その学会に行ってしまったという、恥ずかしげもない後日談の後日談も。私も、そういう学会に多少関係のある職種で働いていたため、それを口実に)

ところで、ネパールでは、チフス患者は隔離されることなく、普通の風邪同様に、普通に家にいたり、外出したりしています。

また、ネパールでチフスが流行する時期に高熱が出て病院へ行くと、感染菌の同定も済まないうちに、チフスの薬を飲まされることが多いため、検査結果が偽陰性と出て、原因を特定できず、症状が長引いてつらい目に逢うこともあるようです。

旅行でネパールに行かれる皆さん、感染症には注意してくださいね。

0 件のコメント:

コメントを投稿